私がマジック始めたのは小学生の時で時代はエクソダス~ウルザブロック頃であった。
きっかけは友達の兄貴がポータル版ラスゴ、ゲドン欲しさに向いたものをそっくり貰ったからである。最初に組んだのはラノエルやウッドエルフでマナ加速して猛火を打つデッキだった。
これを、その兄貴に対抗呪文されたのが青に目覚めるきっかけだったように思う。
時は流れ中学にて今の鶴見勢に出会い、スニークアタックや青茶単といったガチデッキを使いこなす隣のクラスのやいみーと出会い、マスクスブロックの時代である。
メルカディアンマスクス発売後すぐにリシャポと水位の上昇、マナクリデッキを組んできた彼にボコられたあとパーツを譲ってもらいアグロウォーターを組む。多分、これが最初のトーナメントレベルのデッキだったと思う。
デッキの森というサイトでレシピを調べたり、ゲームぎゃざも読み始めたのもこの頃である。周りはネザーゴーやらファイヤーズを組んでた。彼らもまたDNこそやってないが未だに鶴見勢としてレガシーをやっている。
時は流れアポカリプス発売である。このエキスパンションのカード達はちまちまアドバンテージを稼ぐマスクス時代とは違い、一枚で負けてしまう叩きつけるレベルのカード達だった。砂塵の大竜巻を3マナでキャストされたらたまったもんじゃない。一応、アグロウォーターからブルーオーブと形を変えスタンダードをやっていたが結構萎えるものがあった。
そんな時に誰がきっかけかさっぱり思い出せないが旧エクテンに手を出すことになった。
地元の強豪プレーヤーとして既に有名だった猫あるくさんにやいみー介してヨーロピアンブルーを譲って貰うこととなった。確か800円だったように記憶している。ネビ盤や変異種は入ってなく後から自分で買い足したが、サイドボードに二枚のマスティコアが入っていて感激したものである。当時、500もしなかった不毛の大地も。
自分の望んでいたマジックがそこにはあった。デュアランこそ買えなかったが、サブデッキでスーサイドブラック(ヘイトレッド)を組んだりもした。周りはカンスリやスライなどだっただろうか、正直カンスリ以外覚えていない。
ちなみに既にやいみーはマジックを辞めていた。彼のデュアランやモックスダイアを含む潤沢な資産は人手に渡っていた。
旧エクテンである程度遊んだ後、なんとなくやらなくなっていき、一部資産を除き私も大方売却した。
この時手元に残したのがオプトブルーとアグロウォーター(リシャポ以外)
~
時は流れ2010年、押入から発掘したそれらを溜まり場になっていたガストに持って行ってみた。それらを分け合い各々がデッキを組むことになった。時代はゼンディガーブロック、正直運が良くフェッチランドがスタンダード環境に存在したのもあって、今となってみれば比較的安価でデッキが組めた。この時に青単・ネザーゴー・ミルストーリーを各々組んだ。
そして全員同年代であった我々に部活の同窓会にて未だマジックを続けていた、といってもコレクターとしてだが、後輩のKに再会する。彼は我々のデッキをバーサクストンピィで、アカデミーティンカーデッキで食い散らかした。
それに影響されてやいみーが暴走し、ワールドゴージャーを組み始めた。当然ドラゴンは環境を支配する。そこで、ネザーゴー使いでカンスリ使いだったMが根絶というカードを発見する。刹那というキーワード能力はマジックを変えた。ウルザの激怒ならまだわかる。しかし、刹那は駄目だった。瞬く間にワールドゴージャーを駆逐し、環境はまた混沌としていった。
ちなみに、私は復帰してからまず青単BTBを組んだ。そして、初めて行った秋葉原にてビートルという今はもう無いカード屋にて苦悶の触手を発見した。これほど意味の分からなかったことは無い。何故このカードが150円だったのかも理解できなかった。書いてあることが強すぎた。
ここまで発見という言葉を敢えて使っていたのは文字通りストレージやショップで発見していたからである。当時の我々はMTGwikiのやや遅れた知識しかなく、また調べようともしていなかった。
そして、我々のレガシー本格参入を決定づける出来事が起きる。幕張のワールド2010である。あえて記すまでもないが我々は叩きのめされた。サバイバルに、CTGに、Zooに。我々の中で最強だったバーサクストンピィを使ったkでさえ一勝もできなかったのである。一勝くらいはしたかもしれない。私はLEDをKから借りダメランや真鍮の都がマナ基盤のANTで2-5だった。少なからず勝てたのはむかつきは当時恐ろしく強かったのからであろう。
そこから当てを辿って押入発掘をしてもらったり、バイトしてカードを揃えた。やっとメタゲームに上れるデッキを組めるようになったのである。
そして、地元のyをマジックに引き込み川崎ホビステ編へ続く。
きっかけは友達の兄貴がポータル版ラスゴ、ゲドン欲しさに向いたものをそっくり貰ったからである。最初に組んだのはラノエルやウッドエルフでマナ加速して猛火を打つデッキだった。
これを、その兄貴に対抗呪文されたのが青に目覚めるきっかけだったように思う。
時は流れ中学にて今の鶴見勢に出会い、スニークアタックや青茶単といったガチデッキを使いこなす隣のクラスのやいみーと出会い、マスクスブロックの時代である。
メルカディアンマスクス発売後すぐにリシャポと水位の上昇、マナクリデッキを組んできた彼にボコられたあとパーツを譲ってもらいアグロウォーターを組む。多分、これが最初のトーナメントレベルのデッキだったと思う。
デッキの森というサイトでレシピを調べたり、ゲームぎゃざも読み始めたのもこの頃である。周りはネザーゴーやらファイヤーズを組んでた。彼らもまたDNこそやってないが未だに鶴見勢としてレガシーをやっている。
時は流れアポカリプス発売である。このエキスパンションのカード達はちまちまアドバンテージを稼ぐマスクス時代とは違い、一枚で負けてしまう叩きつけるレベルのカード達だった。砂塵の大竜巻を3マナでキャストされたらたまったもんじゃない。一応、アグロウォーターからブルーオーブと形を変えスタンダードをやっていたが結構萎えるものがあった。
そんな時に誰がきっかけかさっぱり思い出せないが旧エクテンに手を出すことになった。
地元の強豪プレーヤーとして既に有名だった猫あるくさんにやいみー介してヨーロピアンブルーを譲って貰うこととなった。確か800円だったように記憶している。ネビ盤や変異種は入ってなく後から自分で買い足したが、サイドボードに二枚のマスティコアが入っていて感激したものである。当時、500もしなかった不毛の大地も。
自分の望んでいたマジックがそこにはあった。デュアランこそ買えなかったが、サブデッキでスーサイドブラック(ヘイトレッド)を組んだりもした。周りはカンスリやスライなどだっただろうか、正直カンスリ以外覚えていない。
ちなみに既にやいみーはマジックを辞めていた。彼のデュアランやモックスダイアを含む潤沢な資産は人手に渡っていた。
旧エクテンである程度遊んだ後、なんとなくやらなくなっていき、一部資産を除き私も大方売却した。
この時手元に残したのがオプトブルーとアグロウォーター(リシャポ以外)
~
時は流れ2010年、押入から発掘したそれらを溜まり場になっていたガストに持って行ってみた。それらを分け合い各々がデッキを組むことになった。時代はゼンディガーブロック、正直運が良くフェッチランドがスタンダード環境に存在したのもあって、今となってみれば比較的安価でデッキが組めた。この時に青単・ネザーゴー・ミルストーリーを各々組んだ。
そして全員同年代であった我々に部活の同窓会にて未だマジックを続けていた、といってもコレクターとしてだが、後輩のKに再会する。彼は我々のデッキをバーサクストンピィで、アカデミーティンカーデッキで食い散らかした。
それに影響されてやいみーが暴走し、ワールドゴージャーを組み始めた。当然ドラゴンは環境を支配する。そこで、ネザーゴー使いでカンスリ使いだったMが根絶というカードを発見する。刹那というキーワード能力はマジックを変えた。ウルザの激怒ならまだわかる。しかし、刹那は駄目だった。瞬く間にワールドゴージャーを駆逐し、環境はまた混沌としていった。
ちなみに、私は復帰してからまず青単BTBを組んだ。そして、初めて行った秋葉原にてビートルという今はもう無いカード屋にて苦悶の触手を発見した。これほど意味の分からなかったことは無い。何故このカードが150円だったのかも理解できなかった。書いてあることが強すぎた。
ここまで発見という言葉を敢えて使っていたのは文字通りストレージやショップで発見していたからである。当時の我々はMTGwikiのやや遅れた知識しかなく、また調べようともしていなかった。
そして、我々のレガシー本格参入を決定づける出来事が起きる。幕張のワールド2010である。あえて記すまでもないが我々は叩きのめされた。サバイバルに、CTGに、Zooに。我々の中で最強だったバーサクストンピィを使ったkでさえ一勝もできなかったのである。一勝くらいはしたかもしれない。私はLEDをKから借りダメランや真鍮の都がマナ基盤のANTで2-5だった。少なからず勝てたのはむかつきは当時恐ろしく強かったのからであろう。
そこから当てを辿って押入発掘をしてもらったり、バイトしてカードを揃えた。やっとメタゲームに上れるデッキを組めるようになったのである。
そして、地元のyをマジックに引き込み川崎ホビステ編へ続く。
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