夜勤ですが

2011年6月18日
デッキは迷走してるので懐古ネタでも。

MTGを始めたのは、恐らく小学生高学年、エクソダスが出たあたりだった気がします。

友達の兄から、カードをもらい猛火を使ったデッキを組みました。

後々わかったのは、それらの紙束はポータルからラスゴとゲドンを抜いたものだったみたいです。

後に中学生になり、未だにレガシーでオッスオッスしてる友人との出会いがあり、自分のデッキが紙束なことをわからせられました。

時代はMMが出たあたりでしょうか。塚本俊樹氏がアグロウォーターとオプトブルーを使いFinalを優勝し、それに憧れ初めてトーナメントデッキの作成をしました。

また、ゲームギャザなどに目を通すようになっており、ジョンフィンケルやランディビューラー、ズビ・モーシェビッツを知りエクテンでのデッキも作り始めました。

最初に作ったのはスーサイドブラックでした。もちろん憎悪、抹殺者入り。

初めて大会に出たのもそのデッキでした。ティム中山店で、ヨーグモスの意志が禁止になっていたのを知らずにその場でスロットをあけた思い出があります。

結果は、青にはだだ強、赤にはGG

その頃から青に傾倒を始めました。

スタンは、アグロウォーターからブルーオーブへの同系統への微変化。

エクテンは、ヨーロピアンブルーに。

虹のイフリート一枚差しか変異種と一枚ずつとるかくらいのメガパーミッションでした。

サイドにマスティコアをとるタイプですね。

とにかくドローゴーが好きで、手札を減らすのが嫌いでした。

時代は移り、インベイジョンブロックへ。

打ち消されない呪文の台頭で苦境にたった覚えがあります。

またアポカリプスの対抗色の露骨に強いカードに辟易しながら、ウルザの物語の終了とともに引退をしました。

デッキは、リシャポごとブルーオーブとヨーロピアンブルーともに売却。
アグロウォーターの材料やスーサイドブラックの材料だけ手元に残った状態で10年後。

鶴見ティムがOpenし、行ったところで変異種を1000円、虹のイフリートを100円で購入しすごく得をした気分で復帰しました。

とりあえずテンプレ通りにBTBを構築。

後にビートルでテンドリルを購入し、ANTを作りワールドのサイドイベントに持ち込んだのが現在にいたる感じです。

まぁ、寝てない状態ですべて思い出しながら書いてるので所どころ間違ってると思います。


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